きおくのたな

思うがまま、日常のことを書き留めていきます。

わかもん会議5


今週の土日に、「京都わかもん会議」というイベントが京都で行われます。

イベントでは、京都府与謝野町の町長山添藤真氏のキーノートスピーチや京都だけでなく日本各地で活躍する若者が登壇する分科会が予定されていますが、僕も「情報発信」をテーマに分科会でお話することになりました。

地域活性やまちづくり、情報発信、メディア運営、ライターに興味ある方々30~40人を相手に、「ローカルメディアの今、地域情報を発信する」と銘打ち、30分ほど参加者の皆さんに普段の活動や、意識していることを参加者の皆さんとシェアしつつ、考えていけたらと思います。
わかもん会議アイキャッチ

先日も、名古屋のイベントでお話しましたが、 2年前は一般的な大学生で、去年の今頃もイベントレポなどは自分のブログに書いていました。2年前の自分に「お金を頂きながら記事を書いているよ」と言っても信じてもらえない気がします。

僕が、どのようなことを考えながら、これまで日々動いてきて、今後の歩み方についてどう考えているのか。1人の「わかもん」の等身大の姿から、参加者の皆さんの関心の根源を紐解き、なぜ「情報発信」に興味があるのか問いかける時間を持てたらと思います。

どんな方とお会いできるのか非常に楽しみ。また振り返りはこちらで書くつもりです。 

Rナシンネンカイ
すっかりお久しぶりの更新。あけましておめでとうございます。

先日、名古屋で株式会社「R-Pro」の岡本ナオトさんの主催した「Rナシンネンカイ」に「アイデンティティ名古屋」として参加し、トークセッションにも登壇させていただきました。

集まった人々は、名古屋を中心にさまざまなジャンルで活躍するキープレイヤーばかり。どうやら学生は僕だけだったようで、とんでもないところに来てしまったなと。
Rナシンネンカイ2
今回、おこぼれながらも「ライター」として登壇し、「なぜライターをしているのか」 という話をしたわけですが、記事を書き始めてから、あっという間に2年。

大学2年の夏に始めたインタビューは、今ではいろんな地域で、自分が良いなあと思った人たちのことを憧れた媒体で書けるという贅沢な立ち位置にいるわけです。

「なぜインタビューだったのか」、「なぜライターだったのか」

理由を挙げると、大きく3つあります。

―1.隙間産業だった 。
僕が、記事を書き始めたのはインタビュー団体「Lien」の東海支部に加入したことがきっかけです。当時、東海支部のライターは1人だけで、記事も1つしかあがっていなかったように思います。

ただ、三重や名古屋で、いろんな活動を拝見するなかで、掲載されてもおかしくない人たちに、スポットライトが当てられていないように感じ、それならば、彼らが存在した同時代的な記録を残そうと文字に落とし始めた。

そういった立ち位置を担う人は、同年代にいなかったので、声をあげてしまえば、独占できるかとも思ったわけです。

当時、関東圏や関西圏を見たときには、同じように活動をされている方たちがいました。でも、東海地方にはいなかった。継続的に進めていくなかで、年を重ねていけば、 彼らが異なるキャリアに就いたときに、発信という部分で関わることが出来るとも考えていました。

それは、媒体が変わった今でも、実感する部分でもあります。「まちづくり」や「ローカル」というテーマをウェブの媒体で書く人は、あまり多くなかったので、すんなりとその立ち位置に入り込むことが出来たのではないかと。

―2.始まりから終わりまでが短いスパンで明確だった。
僕は、もともと何をしても続かない性格でした。 興味を持ったものは、何にでも手を出す、だけど飽きるのもはやい。そんな自分にとって、いろんな興味を取材に落とし込んで、記事という形で表現するライターというスタンスは、合っていたんだと思います。

―3.自分にとっての知は、他人にとっての未知だった。 
大学生活も終わりに近づくなか、いろんな地域に足を運ぶことが出来ました。特に、今年は、岐阜の各地で地域の仕掛け人とお会いし、記事化することが多かったです。地方の賑わいを媒体を通して全国各地に広げ、ムーブメントを起こしていく楽しさを見出したのも今年でした。

いろんなところでお話をする人も増えましたが、意外と各地の動きって知られていないんだなあと感じたのも動いて分かる収穫でした。TwitterやFacebookの情報って見られているようで見られていない。実際に足を運んで、情報を広げていく必要ってあるんだなと思いましたね。

つまらないわけではなく、知られていないだけ。全国で感じた「素敵やなあ」を1つ1つ記録し、地方からも、都市部からも可視化できる状態を作る。

これは今後の継続した目標でもありますが、媒体にアクセスする層も拡大させながら、頂いた御縁への恩返しをしていきたいなあと切に思います。
Rナシンネンカイ3
マルコメ坊主も、22歳。あと2か月足らずで学生終わっちゃうんですよ。今週は京都でもお喋りする予定。来月は岐阜でしょうか、機会に恵まれておりますが、1つ1つにしっかり応えていきたいなと思います。

今年も、どうかよろしくお願い致します。それでは、また。 

生活のなかで、いつもは気にしないんだけど、時にとっても気になってしまうことってないですか?ノリノリのとき、テンションぶちあげのときは考えないのに、少し気分が落ちたり、嫌なことがあったりすると、負の連鎖に入ってしまう感じ。

ジグザグのグラフのように良いときもあれば、悪いときもある。頭で分かっていたとしても、考え込んでしまう日もある。評価、順位、人生の意味...ふと浮かぶ他人と自分の違い、格差、劣等感、コンプレックス。

日々の一瞬一瞬を懸命に生きていたはずなのに、テレビで取り上げられる有名人や、周りの友達、ふと目に飛び込んできた情景から、変りばえのない生活を憂いたり、どうしてあの人には出来て自分には出来ないんだと落ち込んだり。

とても素敵に思えていたものたちが何か比較対象を持つことで、たいしたことのないものに見える。「誰かよりマシだ、あれよりはマシだ。」、そんな風に考えて生きていると、なんだか目線が下がってくるような気がします。
世界は終わらない
益田ミリさんの「世界は終わらない」。

嬉しいことがあろうとも、悲しいことがあろうとも、さまざまな人々、さまざまな視点で世界は描かれ続ける。読後、そんなことを改めて考えた一冊です。

昔、目の前の人が考えていることがマンガみたいに可視化できたら楽で良いのに、そう考えていた時期がありました。ゲームで言うなら、攻略本を見ながら「正しい」選択肢を取れることが出来るのにと。

でも年齢を重ねて現実世界の「分からない」を楽しめるようになってきました。人との出会いで新たな行動が生まれていく、人との関係性のなかで生きていくんだ。出会いを重ねるうちに思えるようになってきたことです。

この本は若木信吾さんの「希望をくれる人に僕は会いたい」と同様、渋谷の本屋さん「SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS」 で購入した本。素敵な空間作り、本のセレクトは本を見繕う時間を豊かにしてくれます。

益田ミリさんの「世界は終わらない」、日々の生活に疲弊したときにふと読んでみると、そののどかな絵のタッチ、そして描き出された日常が気持ちを軽くしてくれるように思いますよ。
 

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